LEE Chong Wei’s story (5)

2003年マレーシアオープンで初めて、シニアプレーヤーとして過去最高の成績となる銀メダルを得た後、リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、下位大会であるマレーシアサテライトでの優勝を踏まえ、2004年のマレーシアオープンで優勝を果たす。チョンウェイは、現在マレーシアオープンスーパーシリーズ(SS)として知られるこの大会で、この後、2007年を除き8度タイトルを獲得している

A million dollar tournament in ASEAN sponsored by cellphone company

賞金総額100万ドルの新たなトーナメント「アシアタ(AXIATA)カップ」が東南アジアでスタートした。マレーシアとインドネシアでそれぞれ「セルコム」、「XL」という携帯電話事業を展開するマレーシアの上場通信企業Axiata Group Berhad がスポンサーを務め、両国にタイ、シンガポール、フィリピン、ベトナムを加えた東南アジア諸国連合(ASEAN)主要6カ国が参加。2単1複の男子団体戦で、優勝チームは賞金40万ドルを得る。 アジアバドミントン連盟(BAC)の認可を受けた大会ながら、当初は、オリンピックレースが大詰めを迎えるこのタイミングでの開催に疑問の声も上がっていた。しかふたを開けてみれば、シングルスでは、全英オープンスーパーシリーズ(SS)プレミアでの右肩負傷で全治5週間と診断された世界ランク1位のリー・チョンウェイ選手(マレーシア)が予選ラウンドへの出場を回避したものの、世界11位のタウフィック・ヒダヤット選手(インドネシア)、同12位のグエン・ティエンミン選手(ベトナム)、26位のブーンサック・ポンサナ選手(タイ)ら。ダブルスでは、世界6位のボナ・セプタノ/モハンマド・アーサン組(インドネシア)、同8位のクー・ケンケット/タン・ブンヒョン組(マレーシア)、12位のマルキス・キド/ヘンドラ・セティアワン組(インドネシア)など、オリンピックレースを戦う東南アジアを代表するトップ選手が顔をそろえた

Who can be Olympians from Japan ?

ドイツ、英国、スイスの3カ国を転戦するオリンピックレース最後の欧州遠征を終え、世界バドミントン連盟(BWF)が22日に発表した最新の世界ランキングを基に、ロンドン五輪出場権獲得を目指す日本選手の立ち位置を確認する

LEE Chong Wei’s story (4)

ナショナルユースに選ばれた直後は、慣れない環境での生活とトレーニングが苦痛となり、すべてをあきらめ故郷に帰りたいとさえ思ったリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)。しかし電話先の父親にかけられた言葉で迷いが消えると、徐々にその実力を発揮していった。 1999年11月、マレーシアジュニアチャンピオンになり、その結果を踏まえて正式にナショナルチーム入りを果たすと、2000年7月、酷暑の京都が会場となったアジアジュニア選手権で国際舞台に本格デビューする。実は、この大会の準々決勝で初めて、宿命のライバル、中国リン・ダン選手と対戦。結果は

SATO/KAWAMAE grabs third gold during Olympic qualifying period

スイスオープンGPゴールド決勝、佐藤翔治・川前直樹組は、世界ランクが1つ上の台湾ファン・チーミン/リー・シェンム組をストレートで下して優勝。オリンピックレース終盤で、レース期間中3つ目となるタイトルを獲得した 試合は、日本ペアの強さが際立つ内容となった。第1ゲームは佐藤・川前組の最小リードで中盤まで進むが、11-10で折り返した直後、7連続得点で一気に引き離し、そのまま一度もリードを譲らず勝利。第2ゲームも競り合いとなったのは6-6まで。連続得点を重ねて21-14と完勝した 佐藤・川前組はオリンピックレースに突入した昨年5月以降、◆6月のロシアオープンGP優勝◆7月の全米オープンGPゴールド・ベスト4◆11月のチャイナオープンSSベスト4◆12月のインドオープンGPゴールド優勝――といった成績を積み重ねてきた。ただ高いランキングポイントにつながる上位大会、SSプレミアとSSで十分な結果を残せず、平田典靖・橋本博且組の後塵を拝している