LEE Chong Wei’s story (4)

ナショナルユースに選ばれた直後は、慣れない環境での生活とトレーニングが苦痛となり、すべてをあきらめ故郷に帰りたいとさえ思ったリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)。しかし電話先の父親にかけられた言葉で迷いが消えると、徐々にその実力を発揮していった。

1999年11月、マレーシアジュニアチャンピオンになり、その結果を踏まえて正式にナショナルチーム入りを果たすと、2000年7月、酷暑の京都が会場となったアジアジュニア選手権で国際舞台に本格デビューする。実は、この大会の準々決勝で初めて、宿命のライバル、中国リン・ダン選手と対戦。結果は8-15,15-7,16-17で惜敗だった。リン・ダン選手は結局、チョンウェイ戦以外すべてストレート勝ちで、佐藤翔治、佐々木翔、川前直樹、タウフィック・ヒダヤット、ソニー・ドゥイ・クンチョロ、マルキス・キド、バオ・チュンライらも参戦した若手の登竜門で優勝した

同年11月には中国で開催された世界ジュニア選手権に出場。しかしここでは、準決勝でアジアジュニア選手権準優勝のインドネシア、ソニー・ドゥイ・クンチョロ選手に敗れ銅メダルに終わった。チョンウェイ選手はこの時、この大会で1~3位に入ったバオ・チュンライ、ソニー・ドゥイ・クンチョロ、リン・ダンの3選手を、今後、自分の前に立ちはだかるライバルとして意識した

続いて2001年には、5歳上のナショナルチームの先輩ウォン・チュンハーン選手を倒し、国内最高峰の大会ナショナルサーキットグランプリを初制覇する。しかしこの勝利の後、試合でもトレーニングでもパフォーマンスが不安定になり、数試合に敗れると、結果として自信を喪失し、モチベーションが低下していった。そんな時、いつもチョンウェイを自分の子どものように扱い、経済的・精神的に支援してくれる後見人のウォン・ウェイチョイWONG Wei Choy)氏、通称‘ルーイおじさん’から食事に誘われ、「続けたくないのならナショナルチームを辞めるべきだ。皆の時間を無駄にしてはいけない」と厳しい言葉をかけられた。これに奮起したのか、チョンウェイは2003年マレーシアオープンで、中国チェン・ホン選手に決勝で敗れたものの、シニアの国際大会では過去最高の成績となる銀メダルを獲得した。するとルーイおじさんが試合終了後に不意に現れ、チョンウェイが欲しかった最新の携帯電話をプレゼントし、「死に物狂いで努力すれば、世界はお前のものだ」とねぎらったという(続く)

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