2003年マレーシアオープンで初めて、シニアプレーヤーとして過去最高の成績となる銀メダルを得た後、リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、下位大会であるマレーシアサテライトでの優勝を踏まえ、2004年のマレーシアオープンで優勝を果たす。チョンウェイは、現在マレーシアオープンスーパーシリーズ(SS)として知られるこの大会で、この後、2007年を除き8度タイトルを獲得している
2003~04年の活躍で、チョンウェイの世界ランクは100位台から20位台に躍進。世界ランク上位16人(各国・地域から3人まで)に出場権が与えられるアテネ五輪がにわかに視界に入ってきた。ムハンマド・ロスリン・ハシム選手、ウォン・チューンハン選手という2人の先輩に続く3枠目を、ロスリンの弟であるムハンマド・ハフィズ・ハシム選手とギリギリまで争い、チョンウェイ世界15位、ハフィズ世界17位という僅差で競り勝ち、出場権を手にした
それまで五輪はおろかアジア大会にも出場したことがなかったチョンウェイにとって、初出場となるアテネ五輪での目標はあくまで経験を積むこと。マレーシア国民の期待は先輩2人に集中しており、プレッシャーもなかった。しかしいざ五輪が開幕すると、1回戦を勝ち上がったチョンウェイしか残っていない状況となり、突然、国の注目と期待を一身に集めるようになったことで、プレッシャーを感じ始めた。結局、中国のチェン・ホン選手にフルゲームの末に敗れ3回戦には進めなかったが、この時は世界のトップ選手との実力差を認識しており、大きな落胆はなく、むしろこの先やらなければならないことが山積していると冷静に結果を受け止めていた
アテネ五輪で金メダルを獲得したのは、後にチョンウェイのライバルかつ親友となる、バドミントンの天才と称されていたインドネシアのタウフィック・ヒダヤット選手(当時23歳)だった。銀メダルは韓国のソン・スンモ選手、銅メダルはインドネシアのソニー・ドゥイ・クンチョロ選手。一方、優勝候補に上がっていた中国のリン・ダン選手は、シンガポールのロナルド・スシロ選手相手に1回戦負けという屈辱を味わっていた(続く)