LEE Chong Wei’s story (2)

He was selected National Youth at 17

リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、父親に連れられ通うようになったバドミントンコートで出会った最初のコーチ、テー・エンフアトTEH Eng Huat)氏の下、6年間、トレーニングを続けた。

バドミントンのために多くをささげ、バドミントンが人生の一部になっているテー氏は、生徒が学びたいと強く望み一生懸命努力する姿勢を見せているかぎり、生徒の家庭がコーチ料金を払うのが困難な時は無料でコーチングを提供。何より、生徒の練習に向かう姿勢を重要視していたという。

ただこのころのチョンウェイは、お世辞にも模範的な生徒とは言えなかったようだ。シャトルを打ったり、さまざまなトリックショットで相手を翻弄するのが好きだったが、反面、まだ幼かったこともあり、テー氏が課すコート外での基礎体力トレーニングは徐々に無意味に思えてきて、ランニングの途中に寄り道して買い食いをしたり、コーチに指示された距離を走らず、大量に汗をかいたかのように見せかけるためシャツに水をかけて戻ったり、ズルをすることもしばしばあったという。チョンウェイは、今になって思えば退屈で疲れるこうしたトレーニングが、自らを強く優れたプレーヤーにするために不可欠と認識していると述べている

チョンウェイが12歳になると、テー氏は、彼のスピードアップを狙い、同じコートで練習していたはるかに年上の選手と練習させるようになった。チョンウェイの相手をすることになった彼らは当初、体力、実力ともに劣る子どもを負かすことを申し訳ないと感じていたが、ほどなくチョンウェイのテクニックが彼らの想像をはるかに超えていることに気づき、次第にチョンウェイとプレーすることを望むようになっていったという

チョンウェイは12歳の時、初めて出場した全国大会「ミロカップ」15歳以下の部で、敗れはしたものの、ディセプション(相手を惑わす’だまし’の動き)を交えたそのプレースタイルで会場の注目を集めた。その後、ペナン州大会の少年の部で、13歳でダブルス準優勝、14歳でシングルス・ダブルス優勝、15歳で両種目2連覇を成し遂げた。チョンウェイはこのころ、金メダルの重みと素晴らしさを知ると同時に、最大の敵は自分自身であると認識した

そして17歳になった時、チョンウェイの試合を目にした、当時マレーシアチームのコーチを務めていたミスターバドミントンこと、デンマークのモルテン・フロストMorten FROST)氏の2度にわたる後押しで、ナショナルユース入りを許可される。12~13歳でユース入りする選手が多い中、「ほかのユースの選手と違いすぎる」という理由で反対する声もあったマレーシアバドミントン協会(BAM)から、遅ればせながらお声がかかったわけだ(続く)

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