
世界1位と世界一は違う――。2014年12月のファイナルを含む通算3度のスーパーシリーズ制覇。2015年4月には長く背中を追いかけてきたあこがれの存在、中国ユー・ヤ ン/ワン・シャオリ組から初勝利を挙げるなど、松友美佐紀選手とともに試行錯誤を繰り返しながら、歩みを止めることなく実績を重ね、女子ダブルス世界ランク1位に君臨する高橋礼華選手。自分たちの立ち位置を、謙遜ではなく、冷静にこう説明する
目標に掲げるリオデジャネイロ五輪でのメダル獲得に向け、「動じない心」 に一層磨きのかかってきた高橋選手に、台北で BadPaL が独占取材した
子どものころ抱いた漠然としたあこがれではなく、具体的に五輪を目指したいと思ったのは、2008年北京での末綱聡子・前田美順組の活躍を見てから。さらに一歩進んで、実際に自分たちが世界トップを狙えるのでは、と手ごたえを感じたのはいつだったのか

高橋選手は今なら、「パートナーは松友でなければダメ」と断言する。ただ、ペアとしてシニアの国際大会で初めて優勝した2009年大阪インターナショナルチャレンジの直後は、「(先に社会人となり)次に誰と組むことになるかも分からなかったので、この時は松友と組んで勝った、ただそれだけ」と意外にあっさり。むしろ、「自分はこの後、どこまでやれるのだろうかという期待感が大きく、誰と組むことになろうとも、自分が引っ張ってまた優勝しようと意気込んでいた」という
では、松友選手となら世界を狙えると実感できたのはいつか。ロンドン五輪出場権をかけた五輪レースを2012年4月で終え、同年7月、有力選手は出場していなかったものの、USオープングランプリ(GP)ゴールド、カナダオープンGPと続けて優勝できた時。とりわけ、USオープン決勝でストレート勝ちしたのが、ロシアの五輪代表で翌月にロンドンで銅メダルを手にするニナ・ビスロワ/バレリ・ソロキナ組だったのは大きかった。その後飛び込んできた藤井瑞希・垣岩令佳組銀メダル獲得の一報もあり、「ほかの国だったら(代表として)出られたのに、悔しい。次は絶対自分たちが」と気持ちが嵩まった
現在、世界ランク1位として五輪レースの先頭を走る高橋・松友組だが、前回4年前のレースは、2011年シーズンのSS最終戦、香港オープンを迎えた11月時点で、藤井瑞希・垣岩令佳組3位、末綱聡子・前田美順組5位、松尾静香・内藤真実組7位と、先行する日本ペア3組がそろって世界ランク1ケタ台。対する自分たちは16位で、日本がこの種目で獲得できる出場枠は最大2つしかないことから、「勝負にならなかった」。しかしそれでくさってしまうのではなく、「五輪レースで勝てないなら日本で1番に」と目標をスッパリ切り替え、この年の全日本総合選手権のタイトル奪取を狙い、見事初優勝につなげてしまう。高橋選手は当時を振り返り、「妥協を許さない練習は厳しく泣かされたが、中国から所属チームに加わっていた北京五輪銅メダルのツァン・ヤーウェン選手に感謝している」と語った
結果的にその後、全日本3連覇を果たすことになるが、「真に日本一を目指したいと思ったのはこの年だけ」。決して(全日本総合を)軽視していたわけではないが、「これ以降、視線の先にあるのは世界だった」ときっぱり。そのため、4連覇のかかった2014年、同じチームの栗原文音・篠谷菜留組に敗れ早々に姿を消すことになっても全く意に介さず。翌週に控えていた「SSファイナル(のタイトル)を取ればよい」と準備を続けた。そしてその思い通り、初めて降り立つ中東ドバイの地で開催された世界のトップペア8組しか出場できないSSファイナルにおいて、日本勢として史上初優勝という偉業を成し遂げてみせた
◆世界選手権/五輪とSSの違い

出場を逃したロンドン五輪の後、実力をつけ、世界のトップペアの1つとして広く認知されている高橋・松友組だが、五輪に並ぶ最上位の大会、世界選手権では、◆2013年初戦(2回戦)敗退◆14年2戦目(3回戦)敗退◆15年2戦目(3回戦)敗退――と、結果を残せていない
むしろ、国際的に無名でリザーブから繰り上がって初出場した、ロンドン五輪のテストイベントとして同じ会場「ウェンブリーアリーナ」で開催された2011年の方が輝きを放っていた。3回戦(ベスト16)まで進み、末綱・前田組に惜敗(21-18,15-21,17-21)したが、「あの時は悔しさより、ファイナルゲームまで戦えたので達成感があった」という。それでも、末綱・前田組が続く準々決勝にも勝って銅メダルを手にしたのを目の当たりにして、「やっぱり悔しかった」と認めた

「そこがゴールではない。ただ通過点として優勝したい」と語る世界選手権と、既に3度優勝している上位大会SSとの違いも指摘する。とりわけ、決勝でロンドン五輪金メダリストを破って優勝し、日本国内でも広く報じられた2014年12月のSSファイナルについて、「もちろんうれしかったが、たまたまその前に行われたテニスの ATPワールドツアーファイナルで錦織圭選手がベスト4と活躍したことで、同種の大会として注目を集めただけ」と淡々と振り返る。「SSファイナルの評価は所詮、狭いバドミントン界の中だけ。やはり日本全体に注目してもらうには、世界選手権か五輪で勝たなければ」と強調する
その意味において、ジャパンオープン、SSファイナル(ともに2014年)に続く3度目のSS制覇となった2015年インドオープン優勝の後、世界ランク1位を維持していながら、「世界チャンピオンと呼ばれることはおかしいと思う。世界選手権で勝っていないのに、恐れ多い」と繰り返す。ただ、これまで相手に合わせてしまうことの多かった日本ペアとの対戦で、自分たちのプレーを貫きさえすれば勝てるという自信を強固なものにしていくにつれ、「日本の女子ダブルスといえば自分たちでなければ」という強い気持ちが芽生え、国内大会では、「自分たちが出るから見に来てくれる。世界1位のプレーを見せたいと思えるようになってきた」と話す。一方で、世界ランク並びに国際大会の実績で上をいっていても、2014年世界選手権で銅メダルを獲得した前田・垣岩組には一目置いている
◆「あたふた」にも揺るがぬ信頼

2つ年下の後輩ながら、冷静でクレバーな司令塔としてゲームメイクに優れる松友選手は、高橋選手の最も頼れるパートナーだ。しかしごくごく稀に、突然緊張に見舞われ「あたふた」してしまうことがある。5月に行われた国・地域別男女混合対抗戦スディルマン杯の準々決勝、デンマーク戦〈https://badpal.net/2015/05/16/day-6-of-sudirman-japan-clinches-medal-overcoming-mentally-tough-match/〉はその一例。先に試合をした男子ダブルスのまさかの敗北で予想外に出番が回ってきてしまい、日本初のメダルのかかった大事な一戦ながら準備不足のため気持ちが乗っていかず、序盤から普段ならあり得ないミスが続いた
この時、対象的に冷静だった高橋選手は多くを語らず、自分の持ち分を果たしながら、松友選手が「戻ってくる」のを待った。2013年マレーシアオープンの時〈https://badpal.net/2013/01/19/ayakamisaki-and-tago-survive-and-one-step-closer-to-finals/〉もそうだったが、「最後には必ず調子をとり戻してくると分かっているから」と疑わない
妹の沙也加選手もうらやむ、ポジティブな性格であることを自認する高橋選手は、「松友は考えすぎる(きらいがある)」と指摘する。ただ、調子が上がらない時、「こちらから先にこうした方がいい、などと言わない。やろうとしていることが分かるから」。また、「子どものころから、自分がされたくないことは他人にもしない、と教えられて育った。自分が同じ立場だったら、多分、色々言われたくない。余計に混乱して調子の戻りが遅くなることもある。言ったらだめでしょう」と笑う。それでも最近になって、試合中、うまくいかない場面でこちらの考えを伝えてみると、松友選手も同じことを考えていてうまくいったケースもあるという
「2人でプレーしていて意見が衝突することはない」と言い切るほど理解し合う松友選手に対し、もう少しスマッシュ力(パワー)があったらと考えたことはないかと、少々意地悪な質問をぶつけてみると、「それはない」と即座に否定。「自分たちの特徴は2人でゲームを作るところ。1人で全部決められない。松友なりの攻め方でやってくれたらいい」との答えがスッと返ってきた。高橋選手は、「日本のほかのどのペアよりリスクを背負ってプレーしている」と勝ちにいくための覚悟を示す。同時に、「大きな目標がしっかり見えているため、1つ1つの勝ち負けに以前ほど一喜一憂することはなくなった」と言えるようになった
インタビューの終わりに、もし自由にパートナーを選べるとしたら誰と組んでみたいか聞いてみた。実際にプレーの参考にしているというユー・ヤン選手やツァオ・ユンレイ選手など、中国のダブルスの名手に一通り思いを巡らせた後、最終的にたどり着いたのは、なんと「高橋礼華」。自分が後衛または前衛でどんなプレーをしているのか客観的に見てみたい、との思いからだ。さらに続けて、「高橋礼華と組んで高橋・松友組と対戦したい」。元々、取材対応には定評のある高橋選手だが、聞き手の期待をいい意味で裏切る明快な答えを、自らの言葉で笑顔とともに返してきた