毎年恒例となっている「FDGカップ」が6月28~30日、フィリピンで開催された。10年目を迎えた今回は、1回戦から準々決勝までをこれまで通り都市部にある物流倉庫を改造したバドミントン専用コートで。準決勝と決勝は、大会名になっているフレデリック・D・ゴー(FDG)氏が社長を務める不動産開発大手が運営する大型ショッピングモールの特設コートに場所を移して、買い物客を含む多くの人が見守る中で行われた。また決勝の合間には、ほかではもう見ることのできない、現・旧2人の世界ランク1位によるエキシビションマッチが会場を沸かせた
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LEE Chong Wei’s story (7)
リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、2000年に京都で開催されたアジアジュニア選手権で初対戦して以来、中国リン・ダン選手とこれまで何度も名勝負を繰り広げてきた。そのうち、特に印象的だった幾つかの対戦を自伝の中で取り上げている 【1】2006年マレーシアオープン決勝
LEE Chong Wei’s story (6)
リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は自伝の中で、3人のコーチに触れている。1人目はミスブン・シデク(Misbun SIDEK)氏、2人目は中国人のリ・マオ(LI Mao)氏、そして3人目が現在のコーチ、テイ・セウボク(TEY Seu Bock)氏だ 80年代に選手として活躍したシデク兄弟の長男、ミスブン氏のトレーニングは、プロ選手にとって必要な要素である、フィジカルの強化に重点を置いたもの。さらに精神面では、
LEE Chong Wei’s story (5)
2003年マレーシアオープンで初めて、シニアプレーヤーとして過去最高の成績となる銀メダルを得た後、リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、下位大会であるマレーシアサテライトでの優勝を踏まえ、2004年のマレーシアオープンで優勝を果たす。チョンウェイは、現在マレーシアオープンスーパーシリーズ(SS)として知られるこの大会で、この後、2007年を除き8度タイトルを獲得している
LEE Chong Wei’s story (4)
ナショナルユースに選ばれた直後は、慣れない環境での生活とトレーニングが苦痛となり、すべてをあきらめ故郷に帰りたいとさえ思ったリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)。しかし電話先の父親にかけられた言葉で迷いが消えると、徐々にその実力を発揮していった。 1999年11月、マレーシアジュニアチャンピオンになり、その結果を踏まえて正式にナショナルチーム入りを果たすと、2000年7月、酷暑の京都が会場となったアジアジュニア選手権で国際舞台に本格デビューする。実は、この大会の準々決勝で初めて、宿命のライバル、中国リン・ダン選手と対戦。結果は