LEE Chong Wei’s story (1)

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男子シングルス世界ランク1位、マレーシアのリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)が1月に出版した著書「Dare to be a Champion」。現役バドミントン選手では初めてとされるこの自伝を読む機会を得たので、数回に分けてその内容の一端に触れる

北京オリンピック直後の2008年8月21日以来、3年半の長きに渡り世界トップの座を維持しているチョンウェイは、1982年10月21日、マレーシアのペナンに生まれた

母親はチョンウェイを身ごもった時、既に長男チョンフーン、次男チョンエン、長女メイチンという3人の子どもを抱えており、生活が大変で避妊薬を摂取していた。そのためチョンウェイの誕生を神の恩恵とみなしていたという。しかし家族が増えたことで両親の負担は増大。親族や知人からは、かつての華人系社会の中ではさほど珍しくないこととして、チョンウェイを養子に出すよう勧める声もあった。それでも母親は、たとえどんなに生活が苦しくなろうともわが子を手放さないと、聞き入れなかったようだ

家族の窮状を理解して、チョンウェイの兄2人と姉は、学校が終わるとアルバイト、さらには夜遅くまで家で内職の手伝いをして家計を助けていたという。長男に至っては16歳の時に学校を辞め、シンガポールへ出稼ぎに出ている

そんな状況下にも、最年少ということもあり兄姉に比べて自由に育ったチョンウェイは小学校低学年の時、ボールコントロールが楽しくバスケットボールに夢中になった。ただ小学4年生の時、クラスにいたバドミントンが上手な同級生に誘われ、バスケットと並行してバドミントンをはじめ、徐々にのめり込んでいく

その後、父親が「マレーシアでは成功する機会も可能性も少ない」と考えるバスケットを続けることを禁じられ、代わりに勧めに従い、父親が仕事帰りに友人と通っていたバドミントンコートについて行くようになる。ここでチョンウェイにとって最初のコーチとなるテー・エンフアトTEH Eng Huat)氏に声をかけられ、いったんは断った父親の了解も得て、テー氏の下でトレーニングを受けることになった。チョンウェイはこの日のことを、「待ちに待った人生最良の日」と振り返っている(続く)

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