ナショナルユースに選ばれた直後は、慣れない環境での生活とトレーニングが苦痛となり、すべてをあきらめ故郷に帰りたいとさえ思ったリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)。しかし電話先の父親にかけられた言葉で迷いが消えると、徐々にその実力を発揮していった。 1999年11月、マレーシアジュニアチャンピオンになり、その結果を踏まえて正式にナショナルチーム入りを果たすと、2000年7月、酷暑の京都が会場となったアジアジュニア選手権で国際舞台に本格デビューする。実は、この大会の準々決勝で初めて、宿命のライバル、中国リン・ダン選手と対戦。結果は
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LEE Chong Wei’s story (3)
ミスターバドミントンこと、デンマークのモルテン・フロスト(Morten FROST)氏の後押しで、ナショナルユース入りを許可された17歳のリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、生まれ育ったペナン州から首都クアラルンプルールに移り住むことになった。 これまで一度も親元を離れたことのない末っ子の初めての‘上京’に、とりわけ母親と姉はひどく心配した。そして迎えた出発の日、皆が仕事のため家族総出の見送りもなく、バドミントンバッグだけを手に、幼いころ近くのコートにトレーニングに通っていた時のように父親の運転するバイクの後部座席に乗って駅に向かった
LEE Chong Wei’s story (2)
リー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)は、父親に連れられ通うようになったバドミントンコートで出会った最初のコーチ、テー・エンフアト(TEH Eng Huat)氏の下、6年間、トレーニングを続けた。 バドミントンのために多くをささげ、バドミントンが人生の一部になっているテー氏は、生徒が学びたいと強く望み一生懸命努力する姿勢を見せているかぎり、生徒の家庭がコーチ料金を払うのが困難な時は無料でコーチングを提供。何より、生徒の練習に向かう姿勢を重要視していたという。 ただこのころのチョンウェイは、お世辞にも模範的な生徒とは言えなかったようだ。
LEE Chong Wei’s story (1)
男子シングルス世界ランク1位、マレーシアのリー・チョンウェイ選手(以下チョンウェイ、敬称略)が1月に出版した著書「Dare to be a Champion」。現役バドミントン選手では初めてとされるこの自伝を読む機会を得たので、数回に分けてその内容の一端に触れる 北京オリンピック直後の2008年8月21日以来、3年半の長きに渡り世界トップの座を維持しているチョンウェイは、1982年10月21日、マレーシアのペナンに生まれた
ChongWei comes to the Philippines again
圧倒的な強さでインドネシアオープンスーパーシリーズ(SS)プレミアを制し、来月ロンドンで開催される世界選手権のタイトル奪取に照準を定める男子シングルス世界ランク1位、リー・チョンウェイ選手(マレーシア)が1日、地元企業の招きを受けフィリピン入りした